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痙攣性発声障害を治すための手術をする



2020年11月。20年もわずらっていた痙攣性発声障害を治すための手術をしました。


手術前は、「失敗して声が変になったらどうしよう」と不安になったり、「コロナにかかったら手術できなくなるっ」と神経質になったり、「あ~、20年も自分がんばったなあ」と過去を思い出してブルーになったりと、とにかく考え事が止まらずに、モンモンと過ごしていました。


入院先は恵比寿にある厚生中央病院。ガーデンプレイスがすぐそばにあり、とっても素敵な街並みでした。でもそんな景色を味わう余裕もなく、ドキドキしながら入院しました。


パパが付き添ってくれてたけど、コロナのため付き添い人はエレベーターホールまでしか一緒にいることができません。だからわたしは1人ぼっちで病室に行きました。わたしだけではなく、入院している患者さん達は、どの人もみんな1人ぼっちでした。


いよいよ手術当日。手術室に入ると、先生や看護婦さん達が、「本日○○を担当します○○です」と、わたしのところに代わる代わる自己紹介をしにきてくれました。新宿ボイスクリニックの先生も手術の見学に来てくれてました。


すごく怖かったけど、麻酔が入ったらすぐ寝ちゃって、気がついたら病室のベッドの上でした。



手術が終わってしばらくは、ベッドの上でうめいていました。声帯の脇の筋肉を切ったから、その部分が痛いし、息も苦しいし、熱も出ちゃって寒いし動けないしで。


でも熱が下がって動けるようになったら、気持ちがスッキリしてきました。この20年間、声以上の悩みなんてなかったから、これだけつらい思いを乗り越えたわたしは、もう怖いものなしだなって思えてきました。そして最高にハッピーな気分になってきました。


術後は声を出せないので、電子メモを使って、看護婦さんや先生とコミュニケーションを取りました。伝えたいことを、短くわかりやすく書くかなきゃいけないから、ことばを選びました。


ふだん、どれだけ余計なことばを喋ってたんだろうって思いました。喋れるってすばらしいです。これからはことばを大切に生きようって思いました。



入院中は、コロナのために面会禁止で、売店に行くことも病院内を散歩することもできず、感染予防のため給湯器もなく・・・だから、トイレとシャワーと自販機に行く以外は、ずーーーーーーっとベッドの上で過ごしました。


本読んで、絵を描いて、スマホ見て、ご飯食べて寝る。6日間の入院の後半は、ひたすらそれを繰り返してました。入院ってヒマですね。


その時に描いた落書きがこれです。



ロバ次郎の頭に、絵の具がドベーッとなってて、羽ぼうきが刺さってる絵です。声の悩みがなくなったら、途端に幸せになっちゃって、ベッドの上で落書きをたくさんしました。


で、退院して家に帰ったら、さっそく絵を描くことにしました。



人生の再出発の絵です。


誰がこの絵を見てそんなことを想像してくれるのでしょう。絵って、文章とちがってわかりにくいですよね。この絵をSNSにアップしたところで、指で一瞬でスクロールされちゃうのがオチなのです。



わたしはこの絵に『第3の質問』というタイトルをつけました。。


むかーしむかし、中学の時、美術の宮本先生という、めちゃめちゃ怖いおばちゃん先生がいました。いつもカラフルで奇抜な格好をして、眉毛がつりあがって、ひどい暴言をいっぱい吐く、それはそれは恐ろしい人でした。その宮本はとても熱心に、わたしに美術のスパルタ指導を、美術が嫌いになるほどしてくれました。


高校受験は、県立工業高校のデザイン科に推薦入試を受けることになりました。当時、宮本はその高校のデザイン科の先生と文通友達でした。その文通友達というのが、推薦入試の面接官でした。


その面接官は、末政(すえまさ)先生といって、頭がハゲかけてるけどおかっぱで、背の高い、話し出したら止まらない、オシャレなおじいちゃん先生でした。


「あなたの話は、宮本先生からよく聞いてますよ」


末政先生は自分のことを「わたし」と言っていました。「わたしは演劇部の顧問をしています。演劇部は人が足りません。あなたがこの高校に入ったら、演劇部に入ってくれませんか?」と言われたので「はい」と答えました。


わたしはデザイン科に合格し、言われたとおり演劇部に入りました。


末政先生は生徒から「スエ」と呼ばれてました。宮本とちがって、ものすごくフレンドリーでした。なぜこの2人が文通友達なんだろう?って不思議でした。


スエは学校の外ではベレー帽をかぶっていて、見るからに芸術家な人でした。そして金工美術の先生でした。金工とは金属を使って作る工芸品のことです。


ある時、スエは美術展に大きな金ピカの作品を出品しました。金の四角形が、銀色の台の上に5・6個浮かんでるような、なんとも言えない大きな作品です。その作品のタイトルは『第3の質問』。


「芸術家の考えとることはわからんわー」とバカにしながら、美術館の中に展示してあるスエの作品を3秒くらい見て、次に行きました。



今では、スエも、そして宮本も死んでしまいました。


宮本はすーーーーーっごい怖くて、破壊的な攻撃力を持つ、強烈な人でした。だからわたしの中学時代は、宮本の記憶でいっぱいです。こいつ絶対に死なないだろうなって思ってました。なのに宮本は、わたしが大学生の時に病気で死にました。大きくなったら文句を言ってやろうと思ってたのに、これじゃあ文句が言えません。


スエは、大学の近くまで遊びに来てくれて、フグおごってくれました。電話でしゃべったり、スエのお家に遊びに行ったり、わたしの結婚式で長~いスピーチしてくれたり、大人になっても末永くおつき合いが続いてました。


でもスエも、何年か前に死んじゃいました。2人ともすばらしい先生でした。



で、話が長くなりましたが、このロバ次郎の絵を描きながら、タイトル何にしようかなって考えてたら、ふと、スエのあの作品を思い出したんです。それが『第3の質問』


スエの金ピカの作品は、金沢駅前の道路にも飾ってありました。毎回よくわからない作品によくわからないタイトル。それをわたしは何も考えようともせずに見過ごしてしまったんです。


だからわたしはこの絵に『第3の質問』というタイトルをつけました。スエはいったい何を考えていたのか。アートとはなにか。2人の恩師は、アートについてどう思っていたのか。わたしは死ぬまでに答えが出せるのか。


というわけで、人生の再出発は、その答えを探す旅なのです(^^)

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