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【痙攣性発声障害】病気とつき合って20年になりました



私は20年間、痙攣(けいれん)性発声障害という病気とつきあっています。

痙攣性発声障害とは?

声を出そうとすると、自分の意志とは無関係に声帯が異常な動きをしてしまい、声がつまって話しにくいという病気です。
詳しくはこちらのページへ

上のリンクページに簡易診断法があったので、自分を診断してみました



比較的若い女性に多い
➡わたしは25才の時に発症しました


声がつまって出にくい感じがある。または震える感じがある。
➡はい。声がつまって出にくいし、震えます。


傍らから聞くとほとんど正常に近いが、本人のみ発生しにくい感覚がある。
➡はい。わたしはめちゃめちゃ苦しんでますが、まわりの人からは、気づかれません。


話し始めが出にくいことが多い。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「はい」など。
➡そうなんです。接客用語がきついです。「はい」ぐらいスッと言いたいです。



耳鼻科に受診するときに限って声の状態が良くなることがある。
➡そうそう。ほんとそうなんです。


状況によって出にくくなる。特に声を使う仕事に従事してる方が多い。
➡発症当時は、わたしは劇団に入って舞台で演技をしてました。人前で喋るの大好きでした。


家族と会話するときなど、リラックスしている時は楽に声が出ることもある。
➡はい。そうです。


特に電話で話すことが難しいと感じる
➡これは、昔はそうでしたが、今はだいぶ克服しました。でもzoomはきついです。


大勢の人の前では話しにくい
➡はい。大勢の人前での自己紹介は地獄でしかありません。


声が出にくいことで、かなりの精神的負担を感じている。
➡はい。20年間ずっと負担を感じてます。


こんな感じです。まわりの人からは気づかれないし、理解できないと思ってます。



25才のある日、急に声がつまり出しました。劇団に所属していた私は発声することができなくなりました。当時はハンバーガー屋さんで働いていたけど、その接客仕事もつらくなりました。


悩みを話したいけど、声がつまるから誰にも話せませんでした。で、あまりにもつらくて、泣きすぎて、すごいやせてしまいました。


声のつまりは原因不明で、何件も病院をまわりました。1年後、やっとの思いでたどり着いた病院で自分の病名がわかりました。



その時つき合っていた彼氏は、私の病気を理解してくれませんでした。たぶん私にどう接していいのか、何を言っていいのかもわからなかったのでしょう。


彼氏とはけっきょく別れました。別れた原因は他にもありますけれども。(で、その彼氏というのは、パパなんですけどね。その話はまたいつか)


音声外来のある耳鼻咽喉科でボイストレーニングも受けましたが、受けててむなしくなりました。だって以前の私は舞台で良い声を出そうと、さんざん発声練習をしてたんです。なのにその時の私は、日常生活で使える声を出そうと病院でボイストレーニングを受けている・・・みじめでした。


病気発症後も、しゃべれる感覚はずっと残ってました。でも、しゃべれないんです。だから言葉を飲み込むことが多くなりました。人に自分の言葉を伝えることを、あきらめるようになり、人とのコミュニケーションも嫌になりました。


私はあいさつもしない、不愛想なやつになりました。



当時はスマホなんてないし、この病気についての情報が全くありませんでした。だから、インターネットで痙攣性発声障害の本を探して、本屋さんで取り寄せてもらって、それをすっごい読みました。そしたら治療法が、手術と注射という方法がありました。


注射は、声帯にボツリヌストキシンを注射するという方法で、その薬で声帯の痙攣をおさえられるというものでした。でも薬の効果は2カ月~3カ月。薬が切れたらまた打たなければいけません。しかもその注射を行っているのは、日本で唯一、千葉県にある帝京大学医学部付属病院でした。それも1ケ月に1回だけ。


私は当時、石川県に住んでいたので、遠すぎました。しかし私はある日、一大決心をし、注射を受けることにしたんです。


初めて注射を受けにいった日は、いろいろ驚きました。注射を受けに来た人が、私の他にもいっぱいいたからです。日本で唯一注射を受けれる場所だから、全国から患者さんが来ていたのです。同じ病気の人が、こんなにいるんだって思いました。



注射を受けた後、病院の先生の案内を受けて、別室に行きました。そこには痙攣性発声障害の人達が集まっていました。みんな注射の後なので、ノドに絆創膏を貼っていました。同じ病気で苦しむ人たちに初めて会ったので、うれしい気持ちもあったのですが、なんか、なんともいえないつらい気持ちにもなりました。


その気持ちを察してくれたのか、私と似たような年のお姉さんが、帰りに話しかけてくれました。お姉さんは、すごく優しくて、私に缶コーヒーをおごってくれました。



そしてメールアドレスを交換しました。


別れた後、お姉さんからメールが来ました。ちゃんと覚えてないけど、こんな感じです。

私も初めての注射の時、こんな風に優しくしてもらったから、私も誰かに優しくしたかったんだよ。私はもう薬中だよ(笑)



もっともっと、長文で、温かい優しいメールでした。でも私はその長文に対しての返信が「うん」しか書きませんでした。メールの中まで不愛想なやつになってました。


そのお姉さんとのメールはそれっきりです。名前ももう覚えてないし、アドレスも残ってません。でもあの時の缶コーヒーと、お姉さんの優しさにはすごい救われました。


最後に注射を打ったのが15年前、結婚式の前月でした。結婚式で、親への感謝の手紙をどうしても読み上げたかったんです。でもそれ以来、注射は打ってません。



病気のことも、ずっと忘れたふりして生きてきました。忘れられるわけないんですけどね。声ですから。


でも、「私は病気です」っていうと、その言葉の裏には「だからいたわってくれ、優しくしてくれ、気を使ってくれ」っていう言葉を連想させちゃいます。だから、ずっと病気のことは言わないようにしてきました。でも、今日書いてみました。


もし、同じ病気で悩んでる人がいたら、私のように生きてる人もいるので、泣かないでねって言いたいです。


そして、あの時私に缶コーヒーをおごってくれたお姉さんに、あらためてお礼を言いたいです。コーヒーごちそうさまでした。あの日からずっと、私も同じ病気の人に、缶コーヒーをあげたいって思ってます(^^)

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